玉子王子です。
かつて、七人の天皇から国師号を授かるほどの名僧だった夢窓疎石(むそうそせき) という人物がいました。
ある時、夢窓疎石を師と慕う足利直義から、
「仏に願いを立てても叶わないことがあるのはなぜですか?」
と問われた際、
「その願いを叶えることが、その人のためにならないのなら、叶わないことが仏の意です」
と答えたそうです。
冷たいようですが、確かにそうかもしれません。
極論を言えば、
「賭け事で当たりたい」
「人を不幸にしたい」
「努力しないで儲かりたい」
といった願いを叶えることは、その人のためにはならないからです。
基本、願いごとをしたら、それを忘れるぐらいでいいかもしれませんね(^-^)
忘れた上で努力して、それでも叶わないなら、それでいいやと思っていて丁度いいんです。叶ったらラッキーと思えばいい(笑)
それは、「その程度の思い」でいいってことではなく、あまりにもこだわりが強いと、本当の目的を忘れてしまうってことです。
あと、ビジョンを描く方向性も大事。
例えば、ナチスのヒトラーのような方が描くビジョンは強いとは思いますが、方向性が正しいとは言えません。
ある程度までは「思い」の強さだけでも叶うかもしれませんが、「そうはさせまい」とするイギリスのチャーチルみたいな方々の「思い」の結集がそれを止めました。
大多数の民意が神仏の意志と合致していれば、いくら独裁者が強かろうが、強烈なビジョンを描こうが、必ず潰されます。
要は、願いごとの方向性、内容、時期が正しいならば、あとは努力したら必ず叶うと思います。
願いが叶わないことで神仏に文句言うよりも、願いなんて忘れるぐらいで丁度いいんです。
コメント
話が難しいぃぃぃぃ(@_@)!
すみません(^_^;)
歴史を持ってきたら小難しいですね(笑)