〜見えない世界のおはなし(座学)〜

6月7日(日)死後の世界・前世・転生

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【第二の人生】71の章:大きな取引には対価が必要

【第二の人生】
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*登場人物*

・萬里→主婦でお役目持ちの修行中。自分もずっとキツかった、だから娘の能力がかわいそうに思える。人を救うってそんな簡単なことじゃない。

・H氏(おじじ)→リーマン能力者(本物)萬里には分からない凄まじい経験をたくさんしてきているようです。

 

 

 

H氏「悪魔に

魂を売るより大変です。

能力を抑える、

閉じるというのは

してはいけない、

というのもありますが

させてはいけない、

ものでもあるんです。

自然の流れを壊す事にも

なるので。

 

取引とは『対価を支払う』

ということです。

子供達に限らず

関わった人(生き人)の命を

救わなければならない時がありました

だとしても、

お神様や後ろの方にそれを

お願いすることなんて言語道断

 

お願いをするという事は

身体の一部を対価として

支払うことになります。

お神様に一端の人間が

お願い事をするという事は

それ相応の犠牲が必要と

いうことなんです。

 

それを萬里ちゃんに

させるわけにはいかない

させてはいけないので

これは、できない事なんです。」

 

萬里「対価って・・・。

知らなかった。

神様にお願いをするって

そんなに

大きなことだったんですね・・・。」

 

H氏「なのに、

私はいくつもお願い事をしました。

その行為がツケとして

一生抱えるものになっても

どうしても

救わなければいけない命と

子供達の能力の事で・・・。

 

あ、子供たちに関しては

まるで私のわがままなんですが

今後はもうどう転んでも

何一つお願事なんかできません。

 

若気げの至り

とでもいいましょうか

私にも熱い頃はありました

この何十年の間に

どうしても助けなければ!

という気持ちが強く

人を助ける為に対価を支払いました。

 

私の腰がいつも悪いのは

椎間板が3つほど

無いからなんです。

他にも体を調べれば

足りないパーツはあると思います。」

 

萬里「椎間板って

無いといけないものなんでしょ?

骨が直接擦れるんじゃ

ないんですか?」

 

H氏「そうですよ、

常に激痛で

普通の人なら歩けません。

 

お願い事するということは

対価を支払う=苦痛激痛の日々

という重荷を背負うことになります。

 

魂売って命取られるより

痛みに耐えて

数十年生かされることの方が

はるかに辛い拷問です

 

でも、私がお願い事を

したのだから

この身体で生きるしか

ないんですけどね。」

 

なぜこんな大きな事を

サラッと簡単に言うんだろう?!

それは絶対慣れとかではない

(;´д`)

 

H氏は、

そこまでする必要が

なかったにのにもかかわらず、

若さゆえ助けたい気持ちが逸り

暴走してしまった結果

こうなってしまったということだ

 

萬里「萬里の子供は

無理だったとして、

これから先どうしても助けたい

命があったときに

私も身体の一部を差し出せば

助けられる可能性があるんですか?」

 

H氏「それはダメです!

萬里ちゃんは、

これからたくさんの人を

助けていかなければなりません。

 

一人のために対価を支払い

身体を酷使することは

してはいけません

いや、弟子としても

させる事はできません。

 

もし、そういう場面に

出くわしたとして

どうしてもとなれば

その時は私の身体を差し出します。

 

こんなボロな身体なので

逆に断られるかも

しれませんが・・・。」

 

萬里「そんな

大変な事になるんですか?

んなら、H氏がこれ以上に

大変にならないように

あまりこういうことは

考えないようにします。」

 

H氏「ありがとうございます。」

 

『絶対私が助ける!』

『助けられる!』というのも

『傲り』

これは萬里もK美で経験した・・・。

 

まだ萬里には分からない

凄まじい経験を色々してきたから

時々H氏の対応に冷たさを感じる

のかもしれない

 

その温度差は

経験が浅く

勢いでぶつかる萬里と

経験上、冷静にどう対処

すればいいのかを知っている

H氏との差だろう

 

それで萬里は思った、

神様は

人間に寄り添いはしてくれるが

たまに程度の一回お参り行って

お賽銭一つで願い事をするような

簡単な考えは捨てなければいけない、

人間の都合で神様を扱うとは

これもまた『傲り』なんだろう・・・。

 

私ら一端の人間ごときが

隣のおじさん的感覚で

神様を慕うこと自体恐れ多いと

思ってしまった

 

誰でも自分が救えると思うな!

望まれたときは全力で請け負え!

 

死人がそこに居るからといって

必ずしも供養しないといけない!

という事ではない

なぜなら、全ての死人が

それ(供養)を望んでいる訳ではないから

 

でも、まだ萬里の頭では

死人がそこに居る

萬里が何とかしなければ!

 

という方式が拭えない

だって、そこに居ることに

気付いただけでも身体に影響出るもん

早くどうにかしたい!

と普通なら思うもんでしょ?!

 

まぁ、

これを余計なお世話とも言う・・・。

 

んもう!

どう見分けるのか?

色々と分からなさすぎて

課題がいっぱいすぎる

( ;´Д`)

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