玉です。
輪廻という概念はインド特有の考えではありますが、物事が変転する様のことを言っているわけではありません。
もちろん、季節が巡るように物質もエネルギーも生々流転を繰り返します。
しかし、そんなことは大したことではないというか…それよりも、人間が生まれ変わりを繰り返しているということが重要です。
インド人が考える転生輪廻は、前世~今世~来世というサイクルですが、その「来世」は、一旦あの世を挟んでいます。
だから、死んだあとに「天界に生まれた」という言い方をし、その次に「地上に生まれ変わった」と言います。
まぁ、それはそうとして、生まれ変わるということは、当然ながら生命は永遠だということです。
それが、六道輪廻と呼ばれる餓鬼や畜生などを含めた世界であったとしても、ただ単にグルグルと回る洗濯機のような仕組みにはなっていないと思います。
生まれ変わるには生まれ変わるだけの理由や法則があります。
それを解くキーが「業(ごう・カルマ)」であり、その原動力は「因果の理法(原因と結果の法則)」です。
それ以外にも、使命やら天命やらの問題はあるでしょうが、それさえも因果の理法の軛(くびき)からは逃れられません。
「天網恢恢、疎にして漏らさず」
つまり、何事も偶然はなく、誤魔化しは効かないということです。
この世では、悪いことをした人がよい思いをしていたり、正しく生きている人が報われないように見えることがあります。
一見、理不尽で不公平です。
しかし、転生輪廻までを含めた場合、一切の不公平はありません。
砂粒一つ分の間違いもなく、公平に行き先は決まり、自分の身に降りかかってきます。
そこが、因果の理法の怖さでもあり、平等性でもあります。
ではなぜ、そこまでして生きなければならないのでしょうか?
パラレルワールドであれ、他の宇宙であれ、時間の中で活動する存在があれば同じ法則のはずです。
まぁしかし、転生輪廻があるということは、ある意味幸せなことです。
なぜなら、「やり直していい」ということなのですから。
成功した者も失敗した者も、幸せだった者も不幸だった者も、皆が等しく死に、等しく生まれ変わる。
生まれた時のハンデや課題はそれぞれ違っても、公平な結果そうなっています。
それでも、記憶を一時的に無くし、赤ちゃんとして、人生をやり直せるのは幸せなことなのです。
人間は身勝手なもので、永い時間の退屈には耐えられず、いつかは飽きてしまいます。
安定したら刺激を求め、刺激が強すぎるとまた安定を求めます。
その意味でも、転生輪廻は有難いことだと言えます。
人の命はただの繰り返しではなく、遺伝子コードのように、上に向かって螺旋状に進んでいます。