去年(2023年)起こったメンバーこまゆのお話。
親の老衰化
齢80も越えれば、身体のどこにも不具合なく過ごしてる人なんか居ません。
こまゆと同居する前後にお母様は認知症と診断され、こまゆは仕事をしながら付きっきりでお世話をしていました。
こまゆの性格なのか、職業柄なのか、多少の文句は言いながらも楽しそうに日々過ごしている姿を見て、すごいなというかもう尊敬の眼差し。
みんなが想像しているような、辛くて苦しくて大変な介護って感じさせない配慮は、学ぶべきところだと思ってました。
その様子を見聞きしながら、自分が同じ状況だったら、こまゆのようにできるだろうか・・・。この先自分にも必ず訪れる「介護」のことを考えさせられることが多々。
萬里には時々、こまゆとこまゆ母のバイオリズムの様なものが視えていました。
こまゆはお母様と二人で住むために一軒家を探していたり、転職を考えていたり、ネックになることがあっても日常をいつも通りに精力的に楽しんでる。
「家を買う!」って決めたら、気持ちはそっちに持ってかれるよね。ネットで物件を物色、内覧に行ってみたり、情報収集したり、気持ちはすぐにでも購入する勢い。
だけど、萬里には「今じゃない」と、どこからともなく伝わってくる。
で、この数年の間に気が付いたんだけど、数字が視えることがよくある。ただそれが、「月・月数」なのか「日・日数」「回数」なのか「年単位」なのか、そこら辺がまだ萬里データが少なくて、感覚が掴めない。
漠然とだけど、こまゆの家購入に関しては「2023年中は諦めろ、家を買うより先にやることがある。」とバタつく予感な言葉が降りてくる。
それに付随して「8」という数字。感覚的に「月」を表してる気がする。そして「夏の礼服」あったかな・・・。とか、無意識にお葬式へ参列することを前提とした思考が働く。
あれ?なんで葬式のこと考えてたんだろ?
もしかして・・・。
不安な気分に襲われる、確証は常にない。だけど、未来を予知した時は注意を促す、準備ができる、という部分では先に知っておいて悪いことではない。
あれこれ条件や内装を考えながら、家を見にくのが楽しくてしょうがないんですぅ。
こまゆ、それ今年はまだ動けないよ。
ゆっくり検討するとか、候補として見て回る分はいいけど、決定はまだしないで。
ていうか、今年はここが良い!って決め手になるような、良い物件には当たらないと思うから。
えー!買おうと思ったら、欲しくてしょうがなくなりますよね〜。まぁ、買いたい候補出てきたら、どっちにしろ萬里さんにも物件見てもらいますけど。
今年は無理なんですか?なんで?
う〜ん、ハッキリ何とは言えないけど、8月くらいかな夏の一番暑い頃にお母様の状態が急変するとか、亡くなるとか何か起こるかもしれない。状態からしてもそう長くないのはこまゆも思ってるやろ?
はい、前から比べると食欲も落ちてるし、確実に認知も進行してるし、弱ってるのは目に見えてわかります。
お母様と一緒に住む家を探してるのは分かってるんやけど、先にお母様を見送ることになるから、そっちが落ち着いてからやね。今家を買うよう急いでも、良くない物件を引く可能性が高い。
えええ!まぁ、そう遠くないことだとは思ってましたけど、今年夏ですか?!
大きな出来事が重なると、どこかで後悔するようなことになりがちやから、今はお母様の介護や看護に集中して、やるだけのことはしっかりやった!って自分が後悔しなくて良いようにして欲しい。
まぁ、物件見て回るのは楽しいから、ダメとは言わない、今は夢見ながら楽しみの一つくらいにしといて。
萬里さんがそういうと、本当にそうなりそうだからなぁ。
じゃ、今年は家購入は無理ってことかぁ。
全力看病&看護
こまゆは前例があるから、萬里の能力を信じて各所でうまく使ってくれる。
何かの判断に迷った時も、無言で選択肢を目の前に出し、咄嗟に萬里に選ばせて、物事を決定したりもする。
無意識の直感に従い動けるってのは、結構有効な手段だったりもする、こまゆ本人もそうやし、結果に対して後悔したりもしない。
夏が近づいて、こまゆ母の状態は急下降していた。久留米の暑さは尋常じゃない、健康な若者にとっても致命傷になりうる気温と湿度。
年配の方々は、体感自体が鈍くなってるから、気付いた時には緊急事態ともなりかねない。
「8月にバタつくよ」の解釈はこまゆ的には「死」を表してると、受け取った。
私頑張って、お母さんの夏は絶対なんとか越えさせます!!
看護師の気合が入った言葉で、返事をしていた。
萬里はいつも確定的な物の言い方はあんまりしない、実際に事が起こらないと分からないし、良くないことから防ぐために言った場合なんか、事が防げた場合、良くないことは起こらないから「外れた」と判断されることでもある。
占いではないから、当たった外れたの世界とは違う、受け取った人の解釈によって物事って変わるから、人の人生を簡単に左右するようなことは確定的に言ってはいけないのだ。
8月に入り、こまゆ母は急激に弱って、危ない状態に陥り入院することになった。
こまゆも仕事しながらだったから、自宅で見ているよりは24時間見てもらえる病院にいる方が安心。
「山場が来た?!」と思ったけど、こまゆの決意通り長めの入院ではあったが、なんとか退院まで漕ぎ着ける事ができた。
以前は徘徊が多くて捜索願いを出すほどの元気さがあったけど、退院後は寝ている事が多くなり、おしゃべりも積極的にしなくなったそうで、探し回る手間はなくなった分、身の回りの世話をする量も時間も前よりも多くなり、こまゆもかなり疲れている。
こまゆは様子をしっかり見てるから、変化にもいち早く気付ける。年の瀬が迫りはじめる頃から、
寝てばかりだけど、一度お母さんに会ってみて欲しいんですよね。
この時、こまゆが何を求めて会って欲しいと言ってるのか良く分からなかった、お迎えの確認なのか、お母様に対する見えない世界からのメッセージ受け取りなのか、なんにしても何かを感じ取ってるんだろうな。
12月に入って、こまゆが顔を出すたびに様子を聞くと、お母様の衰弱具合が増してるのが分かった。
食べ物を受け付けなくなる、もしくは食べる気力も体力もなくなる、食欲自体がなくなる、
食べることを止める=生きることを止める
その選択をしたことになる。それは意識的にも無意識的にもどちらの場合もある。人間は如何なる時も常に「選択」をしている。
死を受け入れる準備を始めたとき。
♪いつも読んでいただきありがとうございます♬
フムフム、そんなこともあるんだ〜!まぁ、なんやわからんけど頑張ってくれたまえ!!