玉三郎です。
私は占いを信じる方です。
特に根拠はありませんが、何事も「巡り合わせ」や「法則」というものがあると思うからです。
占いには大きくわけて、四柱推命や占星術などの「統計学的占い」と、タロットカードや神のお告げ的な「完全スピリチュアル型占い」がありますが、怪しげなものを除いて、どちらも信じています。
どんな占いでも、その時々に必要な意味があるでしょう。
ただし、その占いが「正しいかどうか」という意味付けまでは、占い師には委ねないようにしています。
これは、運命論ではなく人生観の問題です。
例えば、「あなたはこの方角に行くと不幸になる」とか、「あなたの晩年は災難に見舞われる」と言われたとしても、「だからどうしたんですか?」と思ってしまいます。
占い師は、それで不幸や災難がなかったとしても、「占いが外れたじゃないか!」という文句は言われません。
しかし、不幸や災難があった場合、占い師は「ほら!当たったでしょう?」と思うでしょうね(もちろん、そのような占い師ばかりではないとわかった上で述べています)。
このやり取りって、なんの得にもならないと思いません?(笑)
「幸・不幸とは何か?」を考た場合、災難がないことが幸福。災難があれば不幸という単純なものではないと思います。
不幸が無いこと=幸福
ではないからです。
プラスマイナスゼロが幸福で、プラスマイナスでマイナスなら不幸という考えに基づくなら、あまりにも消極的な人生観と言わざるを得ません。
心からの幸福を感じること…つまり、プラスに転じるにはどう生きれば良いか。
そこには、単に「何事も起きない」とか「苦しみを避ける」といった「逃げ」の姿勢とは別の、汚泥から蓮の華を咲かせるようなダイナミズムが必要だと思います。
歴史上には、周りの人から「そちらに行ったら危ない」と言われながらも、「それでも私は行く」と答え、偉業を成し遂げた人間が多々います。
即ち、占い師が言う「幸・不幸」を超越したところの「魂の学び」「魂の喜び」を得ることが、人生に於けるプラスの幸福ではないでしょうか?
障がいがあるから不幸。
苦難があるから不幸。
貧しいから不幸。
短命だから不幸。
必ずしもそうではないはずです。
そこで何を学び得たかが重要だと思います。
一日千秋の如く何事もない人生はつまらなくないですか?