*登場人物*
・萬里→祈祷師です、お役目持ってますが主婦もやってます。カスミさんともっといっぱい遊んどけばよかった・・・。
・理妃ちゃん→萬里のお仲間。家庭ありで現実の仕事を隠れ蓑にして、ひっそり活動中。能力は超一流。霊担当は主に『母子』
・カスミさん→元治療家。実家から遠く離れた京都に嫁入り後倒れ、脳死状態で延命から半年後、天国へ逝ってしまった。
カスミさんが嫁入り先の病院へ運ばれてから半年後、やっと会えたその日は、彼女のお通夜。
初めてカスミさんの夫に会った。
葬儀場は入り口から祭壇まで、カスミさんがそこに居るかのように、元気な頃の写真でいっぱいだった。
ご両親との思い出、若かりし頃の姿、結婚前のデートの時、両家の顔合わせの時や、結婚式、新婚旅行・・・。
カスミさんのご両親、夫さんにとって、とても大事で楽しい時間だったんだなぁってのが伝わった。
当たり前のように、また明日会えると思っていた人が、想像すらしてない出来事に見舞われ、言葉を交わすこともなく突然居なくなる。
そういう事って、人は一生のうちに何度も遭遇する事なのかもしれない。
おじいちゃんやおばあちゃん、順番、老衰、闘病生活、介護、大往生、そういう流れなら少しは心構えもできるし、受け入れる準備もなんとなく整っていくのかもしれない。
だけど、それはどんなパターンでも、何度訪れても、
残された者はやっぱりその度に空虚感と後悔に苛まれるものだ。
カスミさんが息を引き取ったと聞いた時、通常は失礼なことかもしれないけど、萬里は少しホッとした。
脳死だった時は、誰ともコミュニケーションが取れず、孤独な場所に1人捕らえられたような状況だったカスミさんは、遂に身体も魂も自由になったからだ。
夫さんや家族、生きて残された方々とは話す事も触れる事もできないかもしれないけど、みんなを見護ることができるようになるんだし、萬里達の様な人間とは会話が可能になったという事だから。
カスミさんどこに居るんだろう?
目の前にいるんじゃないかってくらい気配がしっかりと感じられる。
棺の中のカスミさんは綺麗な着物を着ていた。
ふと目についたのはカスミさんの棺の横にちょこんと置かれた骨壷・・・。
カスミさん夫「赤ちゃんは、カスミのお腹で6ヶ月まで育ってたんですよ。男の子だという事も分かりました。その時に火葬して遺骨は大事に置いてたんです。
もしかしたら、カスミが目を覚ますかも・・・という希望も捨てきれなかったんですけどね。」
そうだったんだ・・・。
せめて母子どちらかでも生きてて欲しいって、そう思うよね。
延命を止める決断するの凄く辛かったと思う。
子を亡くす親の気持ち、妻を亡くす夫の気持ち、家族を失う残された家族の気持ち、色々な想いがここに溢れている。
その想いも、みんなが手を合わせに来ている姿も、カスミさんは穏やかにしっかりと見ている!そんな気がしてならない。
というか、カスミさんの暖かい気持ちが伝わってくるので、悲しみに囚われる感覚が全くない。
なんでだろう?
萬里「ねぇ、理妃ちゃん。この場で失礼なのかもしれんけど、悲しいというより幸福感が伝わってくるのはなんでやろか?」
理妃ちゃん「カスミさん、赤ちゃんをしっかり腕に抱っこしてるよ。」
萬里「ホントにぃ?!
萬里、気配は分かるけどカスミさんの姿を捉えられない?!
カスミさんは、お母さんになれたんやね?ちゃんと自分の赤ちゃんと出会えたんやね?」
理妃ちゃん「うん、ちゃんとお母さんになってる。赤ちゃん腕に抱いて幸せそうな顔してるよ。」
萬里「よかった〜!!幸せ感じてるんやね!!思い残す事も無かったんかね?!」
理妃ちゃん「何かしら伝えたいことや、想いはあるとは思うから、少し話してみるよ。」
萬里「分かった!ここは母子担当の出番やから、お任せする。萬里達は向こうで待ってるよ!」
家族でも、親子でも、死ぬ時期や場所が違ったり、思い残しが違ったりすると魂の状態でも出会えない場合もある。
萬里はその心配をしてたんだけど、赤ちゃんはお母さんを傍で待ってたんやね。
理妃ちゃんは静かに目を瞑り、ジッと椅子に座ったまま、カスミさんと対話をしている。
これで四十九日後、滞りなくカスミさん親子は天国に向かうだろう。
カスミさんは幸せだった。
カスミさんの事があって、これまで以上に死の定義について考えた。
萬里は、保険証や免許証の裏に『意思表示』できるスペースが出来た時から、脳死の時点で全てを提供する欄に○をしている。
毎回、家族(子供達)に署名もしてもらっている。その意思は常に伝えてきた。
移植や輸血で人格や感覚、性別が変わったりする場合がある、という事例も知っているので、もしかしたら萬里の臓器をもらって変な能力目覚めちゃったりして、迷惑被る人もいるかもしれない
(ー ー;)
それでも生きることに希望を持って、必要とする人が居るのなら、余すことなく使って欲しいと思う。
生きて欲しいと願う家族の気持ちは分かるけど、脳死という状態の時のどうしようもなく孤独な状況を知っても、延命が本人のためと言えるのだろうか?
それは家族のエゴでもあるのではないか?と、考えてしまう。
痛みがあるのは生きてる証拠。
肉体は借り物の器。
魂は誰にも傷付けられない。
これは萬里目線の考え。魂の営みを見てきて思う萬里の考え。
生きてる間は身体大事にしなきゃと思うけど、魂抜けた自分の肉体に執着がないだけです、灰になるだけなのだから。
死の定義についてどう考えるかは、人ぞれぞれでいいと思います。
誰にでも平等に訪れる『その日』。いつその日が来ても思い残しのないように、生きてくれればいいと思います。
♪いつも読んでいただきありがとうございます♬
フムフム、そんなこともあるんだ〜!まぁ、なんやわからんけど頑張ってくれたまえ!!
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