玉です(^-^)
今日は、朝倉市にある甘木山・安長寺で、朝6時からの坐禅会に参加しました。
凛とした静寂の中、貴重な時間を得る機会でした(^-^)
時間を得る…というより、時間を止めてくれるような感じでしょうかね。
導師がいる、音や光が希薄な空間で、目を半分だけ開け、呼吸に集中する。
肩の力を抜き、背を伸ばしてはいますが、骨盤で座っているため、身体は微動だにしません。
身体の機能をほぼ停止するせいか、しばらくすると、自分の体が自分のものではない感覚になります。
ただ、肉体に魂が入っていて、その魂こそが「自分」なんだなぁって感じです。
日常の立場やしがらみなど、あらゆる些末時から解放され、ただの人間になる時間。
貴重です。
我流ですが、「数息観」をして呼吸を数えていましたが、雑念みたいな思いがいろいろ湧きます。
雑念は雑念で出るがままにし、放置します。
どうせ出るものを、無理矢理抑えようとは思いません。
どのみち「無」になどなれないのですから。
ただ、惰性で動き、常に情報を取り込み、ガチャガチャした日常生活を送っているよりは何百倍もマシです。
私は、以前やった坐禅やヨガで、一種のコツのようなものを掴んでいます。
雑念、反省、後悔、怒り、悲しみ。
それらを人ごとのように客観的に見ていきます。
「あぁ、この人(自分)はこんなことを思ってるんだなぁ」と。
そこに、なんの判断も結論づけもしない。
そして捨てる。
積極的な自己否定をする。
否定した先に「これが自分だ」という肯定があり、うっすらですが、自分というものも?き消えて、他者との境界線もなくなる。
その先にあるのは、「無」というより「自由な思惟」だと思います。